Monthly Archives: 10月 2003

第1回 モンテッソーリ教育について ~こどもの才能は「敏感期」に決まります。~それを発見するのは、お母さんのすぐれた観察力です。

 6歳までの幼児期は、子どもにとって自分を形成する最も大切な時期に当たります。この時期の子供には、特有の行動や興味が現れます。

 子どもが誕生してから2歳頃までの様子を思い出してみてください。生まれたばかりの頃、眠って起きてお乳を飲んでうんちをするだけの繰り返しだった子が、手足をバタバタさせるようになる。指をはじめとしてあらゆるものをしゃぶるようになり、声を出して笑うようになって周りや人の顔をじっとみつめたりするようになる。

 誰も教えないのに必死になって寝返りを打とうとする時期がしばらく続いた後、ひょっこり寝返りを打つようになる。おすわりも油断するとひっくり返るほど不安定だったのが、座っていられる時間がどんどん延びていき、連続寝返りやほふく前進とあわせて部屋の中を一人で移動するようになる。
 さあ、こうなるともう目が離せません。電気のコードを引っ張ったり、ティッシュを全部引っ張り出してしまったり、いつのまにかキッチンまで来て包丁の入っている扉をあけてしまったり・・・といった嵐のような日々を思い出す方も、今まさに真っ最中という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 日常生活の中で、大人の都合にはおかまいなしに突き進むこの時期の子どもは、いったいどこへ向かおうとしているのでしょう。

 子どもは、自分が生まれてきたこの世界がどんなところなのか、どんなものでできているのか、どんな法則で成り立っているのか知ろうと、全力でこの世界に関わっていきます。そしてからだの発達と相伴って、子どもは自分でできることを次々に増やしていきます。すなわち周りの環境を取り込みながら自分を構築していくのです。
 では、大切な時期にある子どもたちに、大人はどのように関わっていけばよいのでしょうか。その鍵はモンテッソーリの考え方の中にあるといえます。

 モンテッソーリ教育を知るうえで、この時期の子どもがもっている爆発的なエネルギーの存在と、子どもが環境を吸収しながら自立への道を歩んでいることをまず知っておいていただきたいと思います。

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新宿区河田町にあるWASEDA Frontier Kids Learning Centerの園長、橋本 恵理が、自らの子育て経験を活かし、モンテッソーリ教育の内容を身近な例を挙げながら紹介。「個性と自立心を養う」教育法であることをお伝えしていきます。

<橋本 恵理 (はしもと えり)> 早稲田大学理工学部卒業。大手保育事業会社にて認可保育園や駅型保育所などの立ち 上げ経験を持つ。2003年、幼児教育におけるベンチャー企業である㈱フューチャーフ ロンティアーズ取締役(COO)に就任。現在、新宿区河田町にモンテッソーリメソッ ドをベースに日本人を対象としたインターナショナルスクール WASEDA Frontier  Kids Learning Centerの園長として、また2児の母としても活躍中。

第3回 「みんなの名前がビューティフル・ネーム」

Aloha! 皆様お元気のことと思います。日本では「小さい秋」が目に付く頃でしょうね。こちらハワイは四季ではなく乾季と雨季に分かれ、現在は乾季ですから日中は暑い日差しが続いています。真っ青な海と空、正に原色の世界です。

ハワイの島でも一番人口の多いこの島オアフの人口は、90万人ほどですが、人種、国籍色々なので、当然名前も色々あります。又、ハワイで生まれたからと、ミドルネームにハワイ語の名前、例えばカイ(男子)やマヘラニ(女子)をつける人もいれば、アメリカ国籍習得の際に米語名に自分の名前を変える人もいます。ですから名前だけで人種や国籍判断は困難になります。それでも多少は、生い立ちの判断の手がかりに名前が役立つことはあります。例えば、カレン・タカハシなら、日系アメリカ人、ヨーコ・ミラーなら国際結婚をしている日本人、でもカレン・ミラーとなるともう解りません。カレン・ヨーコ・ミラーとミドルネームに日本名がついていると、親が日本人なのか、アメリカ人に帰化した人なのか、日本との関係がありそうだと推測は出来ます。さらに中国名、韓国名、フィリピン名、ラテン系の名前やアフリカ系の名前があるのですから、大変複雑です。名前の固定概念は禁物です。こうなると、個人名を正確なスペルで覚えることが重要になってきます。

それでもハワイの人達は、結構器用に色々な名前を上手に発音します。これも南国に生活する人達のおおらかな気質の為のようです。多少発音が違っても、いちいち目くじらはたてませんから。アメリカ本土の白人コミュニティーからハワイに引越したアメリカ人が、ハワイに来てカルチャーショックをうけるのはこの名前にも原因がありそうです。

我が家の子ども達の名前は、主人と私の名前からとったアルファベットを組みなおした名前です。シェラードとノブコから、コシェノ(長女21歳)、シェブラ(次女20歳)、シェノン(長男13歳)と名前をつけました。主人の先妻はマリリンなので、彼の長男(現在ハリウッドで活躍中:www.shemar.com))はシェマーとなりました。これだけバラエティのある名前に慣れているハワイでも、我が家の子ども達の名前の語源は想像外のようで関心されますが、要は自分の両親を忘れないようにとの計らいです。

1980年国連の制定した国際児童年の年、その年の日本のテーマソングとも言える「ビューティフル・ネーム」が、ゴダイゴというグループの歌声で日本全国に流れました。若いお父様、お母様には、この歌をご存知ない方も多いと思いますが、私には色々な思い出があります。「名前それは燃える命、一つの地球に一人ずつひとつ~。呼びかけよう名前を、素晴らしい名前を~。」といった内容の歌詞は、奈良橋陽子さんの作詞です。確か幼い時期をカナダで育った方と記憶しております。1981年私が働いていた神戸ポートピア博覧会会場には、いつもこの軽快な歌が流れていましたし、1989年横浜博覧会に参加したバイカルチュアル・チルドレン(国際結婚家庭の子ども、帰国子女、在日外国籍の子どもたちを集めて日本の子供たちと異文化理解活動をしておりました。)の催し物「集れ!地球の子ども達」(私の著書はこのタイトルから取られたもの)のテーマソングにもこの歌を選びました。その時は、奈良橋陽子さんからお祝いのメッセージをいただきました。1998年ホノルルでNHKのど自慢が開催された時、高校生になっていた私の二人の娘が予選に参加。その時選んだ歌が、やはりこの歌でした。全部の歌詞を入手するのに、ハワイで牧師さんになられた元ゴダイゴのメンバーのお一人と連絡を取ったこともありました。

現在では日本でも、ハワイに負けずに様々な名前をお子さんに選んでらっしゃるようで、大変良いことだと思います。10年前、先に記したバイカルの活動で名前が子供たちに大きな問題であることを知らさせたこともありました。カンボジア国籍のモニカちゃん、日本人と同じ顔なので保育園では自分の本当の名前を呼んでもらえませんでした。バイカルの活動に参加して、自分の本当の名前を皆から呼んでもらって嬉しそうにしていた彼女の顔を思い出します。イギリスから帰国して日本の学校に行っていた両親が日本人のアンちゃん。漢字名もあるのに、「日本人の名前が欲しい」とお母さんに泣いて訴えました。「困ったわね、あなたの名前はお父さんもお母さんも始めての子でとっても嬉しくて、世界中で一番素敵な名前だと思って付けたのに……」その時のお母さんの言葉に、彼女は自分の名前を二度と変えて欲しいとは言いませんでした。ですから、「集れ!地球の子ども達」のフィナーレに、ステージの上で皆で大合唱をした「ビューティフル・ネーム」は子ども達の気持ちが一杯込められ、熱唱となったのも当然でした。

皆さんもお子さんと一緒に、是非この歌を歌ってください。 http://columbia.jp/~godiego/”>http://columbia.jp/~godiego/
http://www15.big.or.jp/~mios/minnanouta/ha/name.html

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ハワイの子どもの祝い
子どもの健やかな成長を願う親の気持ちの表し方は色々ですが、ハワイでは一歳のお誕生日を実に盛大に祝います。これは幼児死亡率が高かったポリネシア系ハワイ人の風習が起源のようです。招待客も100人から500人等、子ども中心のアトラクションが多いのですが、まるで結婚祝いのような騒ぎです。一方それぞれの民族の伝統的祝いをする親もあります。例えば、子どもに着物を着せて当地の神社で七五三の祝いをする日系人もおります。
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多民族社会ハワイから異文化理解に役立つ情報を発信している スクール ハウス インターナショナルの運営者です。異民族間 結婚の家庭で育つお子さんの生活環境、多民族化がすすむ日本社会 で国際人教育を必要とされている日本の子どもたちの家庭環境を 一日も早く整えるために、自分の体験に基ついて語ります。 ご参考にしていただければ、大変嬉しいです。

<ノブコ タカハシ ムーア>
関東学院女子短期大学英文科卒業後、デンマークのInternational Peoples’ College で 23カ国の学生と共同生活をしながら、国際理解、国際平和を学ぶ。帰国後 民間ユネスコ活動に出会い以来30年間日本社会の国際化の最先端で様々な 国際交流プログラムを企画実施する。1993年3人の子どもたちの学校教育の為 ハワイに移民。同年それまでの体験をまとめた「集まれ!地球の子ども達」を出版。 School House International のホームページはこちら>>

第5回 親子連絡帳のススメ

皆様 こんにちは!!

 今年の夏は、なんだかちょっと変でしたね。過去形にしてしまいましたが、“秋”の気配が漂っていたと思ったら急に暑くなったりという感じでしたものね・・・・。

さて、夏休みは充分に親子で楽しんだり、触れ合ったり、話し合ったりなさいましたか?そんなこと言われたって、毎日の仕事があり、夏休みなんて無かったに等しいのが現実ですよ・・・と、嘆かれる親御様もおられることでしょう。あるいは、この9月から仕事開始を考えているのだけれど、子どもとの時間が取れなくなるのではないかとご心配のお母様もいらっしゃるかもしれません。

今月号では、そんな忙しい親御様とお子様とのコミュニケーションのとり方について、一緒に考えていきたいと思います。

昔(なんて言うと、どれくらい?と思われるでしょうから、団塊世代の人が20歳代だった頃、と具体的に言っておきましょう・・・・)、恋愛をした二人にとってのコミュニケーション手段は、殆どが手紙か、家にたった1台しかない、しかも家族全員が集まるお茶の間の黒い電話機で、家族の目を気にしながら話していたものです。現在のように、メールだ、携帯電話だ、パソコンだ、なんてものは無かったので、それしか方法がなかった、ともいえます。

今日では、恐らく、大半のお宅で家族全員が携帯電話を持ち、電話やメールでコミュニケーションをとっていらっしゃることと思われますが・・・・・。

確かに便利です。
確かに早いです。

でも、前述の時代のように、手紙であれば、自分の字で、自分の文章で、自分の思いを伝えるにはどんな表現が良いかを考えるし、下手な字でも丁寧に書こうという気にもなる、電話なら(まして親や兄弟のいるところ)ちょっとは人の目を気にして、きちんと話そうと思ったり、長電話はできない、という思いにもなり、言いかえれば、社会生活のルールが家庭からきちんと守られていたともいえるのです。特に手紙は、それぞれの直筆なので、個性豊かな文字や文章がいつまでも心に残ります。

メールやパソコンの文字は、誰が打っても同じです。

確かにきれいです。
確かに簡潔です。

でも、訳のわからぬ乱れ日本語が、このあたりから発生したともいえるわけで、この機会に是非見直してみるのも良いのではないかと思うのです。

ここのところ、親子関係がますます希薄になってきているといわれます。友達関係もしかり、社会全体がそういう傾向になってきている事実は否めません。

そこで、幼稚園児をお持ちの親御様とお子様とのコミュニケ-ション手段として、是非お薦めしたいのが、親子連絡帳の存在なのです。

どんなノートでも構いません。親御様とお子様と協力して表紙に絵などを描き<親子連絡帳>を作ります。そのノートには家族全員が、毎日、今日の出来事を書いていきましょう。もちろん、お父様もゴルフで疲れて帰っていらしても、接待やお付き合いでよれよれになっていらしても、必ず書く習慣をつけることです(どんなに短い文章でも良いのです、とにかく必ず毎日書くことです)。

そうすることによって、家族皆がそれぞれの今日の出来事を知ることになり、それをもとに1週間に1度は、家族全員で話し合う、こんな素敵なコミュニケーション方法は他には無いと思いませんか?

お子様にとっては、字を書く訓練にもなり、豊かな表現ができるようにお母様が手助けをなさることで、お母様ご自身にとっても、本を読んだり、字を書く習慣が身についたり、といった効果が期待できます。もちろん、このノートは、家族の絆の証として、世界でたった一つの宝物になるのです。

赤ちゃんの時は日記をつけていた気がするわ・・・・、と、おっしゃるお母様、それはお母様の思いを綴ったお母様ご自身のもの・・・、それはそれで素晴らしいものですが、親子連絡帳は、その時その時の二度と戻れない家族全員のかけがえの無い思い出を綴ったものなのです。是非、お宅でも実践してみませんか?・・・。

株式会社サマンサ 代表取締役 鎌田妙子

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元保育園園長、鎌田妙子が、今まで学んできた子育て理論や体験談などをもとに、子育ての悩みどころに対してアドバイスしていきます。毎回身近な事柄をテーマに、子育てアドバイスをお届けしていきますので是非ご覧ください。

<鎌田妙子> 1975年、北海道大学教育学部発達心理学研究室終了、認可施設 財団法人慈愛会保育園園長として9年間勤務。施設型保育の限界を超えるべく1986年独立。当時、日本では珍しいベビーシッター事業を立上げ、現在オフィス鎌田の代表として活躍中。