Category Archives: かすが幼稚園

第29回 近頃の若いもんは・・・

私は、神社の宮司を兼務しています。宮司、というと、氏子さん、お参りにこられる方をはじめ、いろいろな方とお話しする機会があるものです。

あるとき、近所でも評判の、口うるさいおじいさんと境内でお話をしていました。普段から、「近頃の若いもんは、なってない。思いやりの心もない」など、嘆き、というか、怒りというか、そういうことをおっしゃっているおじいさんです。

さて、話が、ひょんなことから、「悔しかったこと」というものに及びました。

私が、「おじいさん、今までで、一番悔しかったことは、何ですか?」とたずねると、

「そりゃ、おまえ、普段から仲良くしている隣のじいさんが、わしに内緒で、家を建て替え始めたときが、一番悔しかったわい」

とのこと。

私は内心、仲良しなら喜んであげたらいいのに、と思いながらも、また、何かいわれたらかなわないので、話の矛先を変えようと、「じゃ、今までで、一番うれしかったこと、って、何ですか?」と、たずねました。

すると、そのおじいさん、いわく、

「そりゃ、その家が、工事の途中で、火事で燃えたときが、一番うれしかったわ!」。

「近頃のわかいもんは・・・」なんていえないでしょう、といって、笑い話ですますこともできますが、実は、振り返ってみると、私たちの中にも、人の幸福をねたんだり、反対に、不幸を喜んだり、面白がったり、ということはないでしょうか?

子どもたちには、本当の、「他人を思いやる心」「幸せを共有できる気持ち」を持ってもらえるように子育てしたいものです。

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かすが幼稚園 理事長・園長 米川安宜
京都市右京区の私立園。園長は同志社大学法学部卒業後、國學院大學で神道学、佛教大学で幼児教育を学ぶ。キリスト教、神道、仏教と三つの宗教の大学で学んだ特異な経験をもつ。「子どもは大人よりも能力が高い」という目で子どもと関わり、子どもの脳の発達にあった教育と、積極的な心構えを育てる新しい幼児教育を行っている。また、「幼児期こそ、しつけの最適期」として、しつけ・礼儀、道徳教育も重視している。 (http://www.kasuga.ed.jp/)

第28回 慣用句

数日前の京都新聞に、文化庁の調査として、こんな記事が載っていました。「目立つ誤 慣用句」と題して記されていた記事です。

慣用句の中で、
「上や下への大騒ぎ」と使うと答えた人は59%。
「そうは問屋が許さない」と使うと答えた人は24%だったそうです。

上記、二つ、正しくは
「上を下への大騒ぎ」
「そうは問屋が卸さない」
です。

では、みなさんに質問です。
「役不足」という言葉は、どんな意味でしょうか?

正解は、「本人の力量に対し、役目が軽すぎる」、です。

もう一問。「気が置けない」の意味は?
正解は、「相手に遠慮をしなくてもよい」、です。

いかがでしたか?失礼ながら勘違いをされていた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ことわざなども、よく会話の中に出てきますが、私もよく使う「三つ子の魂、百まで」。これは正しいと考えています。

しかし、「好きこそ ものの 上手なれ」ということわざがありますね。でも、「へたの 横好き」というものもあります。両者はまったく反対の意味を表しています。

以前に「問題な日本語」という本がよく読まれましたね。今の若者の間違った言葉の用例が多く紹介されていました。

日本語はとても難しい。そして時代に応じて変わっていくものですが、子どもたちには「正しい」日本語を伝えていきたいものです。

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かすが幼稚園 理事長・園長 米川安宜
京都市右京区の私立園。園長は同志社大学法学部卒業後、國學院大學で神道学、佛教大学で幼児教育を学ぶ。キリスト教、神道、仏教と三つの宗教の大学で学んだ特異な経験をもつ。「子どもは大人よりも能力が高い」という目で子どもと関わり、子どもの脳の発達にあった教育と、積極的な心構えを育てる新しい幼児教育を行っている。また、「幼児期こそ、しつけの最適期」として、しつけ・礼儀、道徳教育も重視している。 (http://www.kasuga.ed.jp/)

第26回 おのが姿をうつしてもみよ。

私は、京都の大学を出てから、神社の神職の免許を取るために、東京の國學院大學の「専攻科」という、1年間、みっちり神職になるための勉強と修行をするところに通いました。

入学していきなり明治神宮に放り込まれ、早朝からふんどし一丁で、禊(みそぎ)と称する水浴びで身を清め、社殿の雑巾がけ、それからおかゆの朝食、講義、作法の練習など、大学時代には比較的のんびりと暮らしていた私にとって、まさにカルチャーショックのような「修行」でした。

そのときうけた講義の中で、次の一句が今でも心に残っています。

立ち向かう/人の姿は鏡なり/おのが姿をうつしてもみよ

立ち向かう人の心の中には、自分自身の心が映っているのだ。だから、素直でやさしい心で対すると、相手にもそれが伝わり、やさしい心と物腰で対してくださる。しかし、険悪で嫌味な心で接すると相手もまた、険悪な心と態度で相対するものだ、というような意味です。

私たちは、さまざまな人との出会いの中で生きています。自分の気の合うタイプの人の時は、すぐに打ち解けることができるものです。

しかし、「苦手なタイプだな」「いやな人だな」と感じる人は、おのずと接するのを避けたりするものでしょう。

でも、そのような人とも前述の、「おのが姿の鏡」だ、という考えで接してみる、このこともとても大切なことだと思うのです。

自分に合う人だけが回りにいるわけではありません。時には合わないと思われる人とお付き合いをする必要も出てくる、こんなことも子どもたちにうまく伝えていきたいですね。

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第25回 空気に感謝する

水道の栓をひねると水が出る。ガス・コンロのスイッチをひねると火がつく。当たり前のことように行っていること、日常生活の中にたくさんありますよね。

家族がいて、当たり前、友だちがいてあたりまえ。でも、考えてみると、当たり前のように思っていることに、本当に感謝しなければならないことが多いことに、実は気づくのです。

私たちは、生きるためには空気を吸わなければならない。でも、普段はそれを意識していません。
  
地震などの自然災害にあったときにはおそらく痛感することなのでしょうが、食べ物ももちろん、水もなければ生きていけない。

空気や水や食べ物などだけではなく、私たちの身の回りには、家族や友だちをはじめ、たくさんの人たちがいて、私たちの生活を支えてくださっています。「お金を払って」、という資本主義の世の中だからでしょうが、本当は、どんなことも「してもらって」生きているのです。

環境問題も最近取り上げられることが多くなりましたが、自然の力で生かされていることが本当はとても大切で、私たちが今、気づかなければならない最も大事なことなのかも知れません。

地球温暖化、CO2の排出規制、などなど、たくさんのことが問題視されています。日本に暮らす私たちには、まだまだ「対岸の火事」のようにしか、とらえられない面があるのかも知れませんが、地球規模では大変に深刻な問題が起こってきています。海水の水面がこれから上がってきたら、オゾン・ホールがこれ以上、広がったら。

目に見えない、そして普段意識も感謝もしない「空気」に対しても感謝の気持ちを持つ。今からとても大切なことになるのかも知れません。

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京都市右京区の私立園。園長は同志社大学法学部卒業後、國學院大學で神道学、佛教大学で幼児教育を学ぶ。キリスト教、神道、仏教と三つの宗教の大学で学んだ特異な経験をもつ。「子どもは大人よりも能力が高い」という目で子どもと関わり、子どもの脳の発達にあった教育と、積極的な心構えを育てる新しい幼児教育を行っている。また、「幼児期こそ、しつけの最適期」として、しつけ・礼儀、道徳教育も重視している。 (http://www.kasuga.ed.jp/)

第23回 ともに子育てをする

 「米川さん、保護者の方々のご協力が、幼稚園には、絶対必要なのです。ともに子育てをするのが幼稚園なのですよ」

 以前、長野県の白百合幼稚園に、橋上先生と一緒に見学にうかがった折、園長先生から聞かせていただいた言葉です。

 幼稚園によっては、できるだけ保護者に負担をかけないようにすることによって入園希望者を募っていらっしゃるところもある。

 言葉が適切ではない、とご指摘を受けるかも知れませんが、私はいつもこういうのです。「幼稚園は断じて『コインロッカー』ではない」

 子育て支援、はしていくべきです。しかし、私は、子育て「放棄」支援はしたくない。子育て支援の目的は、決して子育てを「楽」にすることでは、ない。子育ては、みなさま十分ご承知のとおり、「しんどいもの」です。決して楽ではない。それは一人の人間を育てる、という、とても重要で、大切で、大変な「一大事業」です。楽なわけがありません。

 私は、子育ては、「しんどいけど、楽しいな」、と思っていただく、そのようにかかわらせていただくことが、幼稚園のできる、最高の子育て支援だ、そう考えているのです。

 保護者の方と私どもが「ともに子育てをする」、それが幼稚園なのです。

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かすが幼稚園 理事長・園長 米川安宜
京都市右京区の私立園。園長は同志社大学法学部卒業後、國學院大學で神道学、佛教大学で幼児教育を学ぶ。キリスト教、神道、仏教と三つの宗教の大学で学んだ特異な経験をもつ。「子どもは大人よりも能力が高い」という目で子どもと関わり、子どもの脳の発達にあった教育と、積極的な心構えを育てる新しい幼児教育を行っている。また、「幼児期こそ、しつけの最適期」として、しつけ・礼儀、道徳教育も重視している。 (http://www.kasuga.ed.jp/)

第27回 機会の平等・結果の不平等

私はよく、「個性」の話をします。ある一定の型・基本ができた上に、出てくるものが個性だと。

たとえば、デッサンの基本もできていないのに、キャンバスに絵の具を塗りたくり、「僕の作品です」と、画商に売りに行ってもまず相手にされないことでしょう。もちろん、よほどの天才を除いてですが、そんな天才はほとんど現れません。やはり、基本が大切になってくるのです。

そして、その上で、もちろん個性は、人それぞれによって違ってきます。子どもたちでは、楽器を演奏するのが得意な子、絵を描くのが好きな子、積み木で上手に遊ぶ子、走るのが速い子、思いやりの心を人一倍持った子、上手に手伝いのできる子、などなど。

有名な話ですのでみなさん、ごぞんじかと思いますが、ある学校で、運動会の時、徒競走でスタートの時、竹の棒を持って走り出す、ということが行われていました。みんなが、平等にゴールするため、差別をなくすためだそうです。「ヨーイ・ドン!」で、一直線で走り出し、仲良く一緒にゴールする。

これはおかしなことだ、と思うのです。前述のように、個性にはいろいろなものがある。走るのが速い子もいる、遅い子もいる。それは、差別などではありません。第一、そのような徒競走を見ていて楽しいわけがありません。

社会は、やはり「機会の平等・結果の不平等」で成り立っているものなのです。子どもたちにももちろん機会を平等に与えなければならない。しかし、個性はさまざまです。出てくる結果もさまざまでしょう。よい個性は伸ばし、悪いものはおさえていく、それが教育であり、子育てなのです。

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第27回 機会の平等・結果の不平等

私はよく、「個性」の話をします。ある一定の型・基本ができた上に、出てくるものが個性だと。

たとえば、デッサンの基本もできていないのに、キャンバスに絵の具を塗りたくり、「僕の作品です」と、画商に売りに行ってもまず相手にされないことでしょう。もちろん、よほどの天才を除いてですが、そんな天才はほとんど現れません。やはり、基本が大切になってくるのです。

そして、その上で、もちろん個性は、人それぞれによって違ってきます。子どもたちでは、楽器を演奏するのが得意な子、絵を描くのが好きな子、積み木で上手に遊ぶ子、走るのが速い子、思いやりの心を人一倍持った子、上手に手伝いのできる子、などなど。

有名な話ですのでみなさん、ごぞんじかと思いますが、ある学校で、運動会の時、徒競走でスタートの時、竹の棒を持って走り出す、ということが行われていました。みんなが、平等にゴールするため、差別をなくすためだそうです。「ヨーイ・ドン!」で、一直線で走り出し、仲良く一緒にゴールする。

これはおかしなことだ、と思うのです。前述のように、個性にはいろいろなものがある。走るのが速い子もいる、遅い子もいる。それは、差別などではありません。第一、そのような徒競走を見ていて楽しいわけがありません。

社会は、やはり「機会の平等・結果の不平等」で成り立っているものなのです。子どもたちにももちろん機会を平等に与えなければならない。しかし、個性はさまざまです。出てくる結果もさまざまでしょう。よい個性は伸ばし、悪いものはおさえていく、それが教育であり、子育てなのです。

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第24回 いただきます、という挨拶

生活の四大原則で、一番に「挨拶をする」をあげています。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、などの一般的な挨拶、それから、ありがとう、などのお礼の言葉も含まれます。

食事をするときの「いただきます」もこの挨拶に、もちろん含まれます。
幼稚園では給食などの食事を食べるとき、「いただきます」といってから食べます。ご家庭でもそうされていることと思います。

ところが、先日、こんな話を耳にして驚きました。

ある小学校で、「給食費を払っているのに、なぜ『いただきます』といわせなければならないのか」という保護者がいたそうです。費用を払っているのだから、食べて当然ということなのでしょうか?これは違うと思いませんか?

いただきますという言葉、これは、食べ物、つまりお米や野菜や肉などの食材、それらの命をいただいているということなのです。
その命をいただいて人間は生きていくことができるのです。

だから、食べ物に対する感謝の気持ちを込めて、「いただきます」と言ってから食べ、いただいたあとは「ごちそうさまでした」と挨拶をするのでしょう。
生きとし生けるものに対する感謝の心、命への尊厳の心、これを忘れてはいけません。森羅万象すべてのものの「おかげさま」で人間は生かされているのです。
食べ物に対しても、「いただきます」と感謝の心を込めてその命をいただく。

小さなことかも知れませんが、とても大切なことだと思うのです。

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かすが幼稚園 理事長・園長 米川安宜
京都市右京区の私立園。園長は同志社大学法学部卒業後、國學院大學で神道学、佛教大学で幼児教育を学ぶ。キリスト教、神道、仏教と三つの宗教の大学で学んだ特異な経験をもつ。「子どもは大人よりも能力が高い」という目で子どもと関わり、子どもの脳の発達にあった教育と、積極的な心構えを育てる新しい幼児教育を行っている。また、「幼児期こそ、しつけの最適期」として、しつけ・礼儀、道徳教育も重視している。 (http://www.kasuga.ed.jp/)

第22回 『議論』が鼻につく今日この頃。

 テレビなどを見ていると、いろいろな人の会話の中に、「議論」という言葉が多いことが、最近とても気になっています。以前から、なのかも知れませんが、特にここ数年、よく耳にするようになってきたように思えます。

 特に政治家の方々の発言に多い。
 「この問題は、もっと議論をする必要があると思います」
 「議論を深めていくことが大切だと思っています」などなど。

 もちろん、重要な問題について議論することはとても大切なこと、です。議論することなしに、独断専行したり、軽薄な決断をしたりして、政治を進められては困ることもあるでしょう。

 しかし、私は言いたいのです。「何でもかんでも『議論、議論』してもらわなくてもいい。それより拙速で構わないから、即、『行動・実行』してもらったほうがいいこともある」、と。

 私たちが、生きている社会は、何事も議論や相談をしてばかりで進んでいくわけではありません。もちろん、衆知を集めることは大切なことです。でも、「あれこれ考えていても仕方がない。とにかく、すぐやろう!」と、進めていくこともたくさんありますよね。そして、そのほうが結局よかった、ということが多い。

 議論、議論、と、問題と自分の責任を先送りにする、そんな考えが見え隠れしているように思えてならないのです。

 子どもたちにも、みんなで相談して決めることの大切さ、と同時に、自分の責任の下に、決断して、即、行動する勇気をも伝えていきたい、と常々思っています。
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かすが幼稚園 理事長・園長 米川安宜
京都市右京区の私立園。園長は同志社大学法学部卒業後、國學院大學で神道学、佛教大学で幼児教育を学ぶ。キリスト教、神道、仏教と三つの宗教の大学で学んだ特異な経験をもつ。「子どもは大人よりも能力が高い」という目で子どもと関わり、子どもの脳の発達にあった教育と、積極的な心構えを育てる新しい幼児教育を行っている。また、「幼児期こそ、しつけの最適期」として、しつけ・礼儀、道徳教育も重視している。 (http://www.kasuga.ed.jp/)

第21回 日本の、本当の「和」の心って?

 「和」の心とは、決して確立されたものではなく、どの時代のものとするか、で、まったく異なってきます。
 今、一般に言われている「和」の心は、おおむね室町時代のものになるでしょう。

 応仁の乱で焼け果てた京都の町が再生し、禅の思想が流れ込み、朝鮮半島や中国大陸からの唐物と交じり合い、「わびさび」というひとつの「文化」を作り出した。「妖艶・幽玄・粋・伊達・数寄」もあったけれども、それまでの「もののあはれ」はその中に昇華吸収されていきました。その後、「わびさび」は何百年を経て、さまざまに変容し、時代の波に洗われてきました。

 そして、決定的な二つの出来事が、幸か不幸か、それを確実に変質させてしまう。同時にわれわれ日本人をも変えてしまったのです。伝統はその時点で、不易流行の活力を失い、単なる「鑑賞の対象」となってしまったのです。

 そのひとつは、「明治維新」。西洋列強に対峙するため、維新政府は、日本の伝統を洗練する必要がありました。
 オカルト的なもの、西洋に恥じると感じられる物事、風習、習俗、文化にふたをして、抹殺してしまった。「和魂洋才」という標語のもとに。

 ついで大東亜戦争での敗戦です。GHQの占領政策でさまざまな日本文化が失われ、同時にわれわれ日本人自身が、自ら捨て去っていってしまいました。

 今、われわれは、「和の心」を取り戻そう、としています。ですが、間違っても、ニセモノの評論家や学者や骨董屋や、さまざまな「家元」と称する人たちに、それを求めてはならない。
 その人たちの説く「和」は、偽りの和でしかないからです。

 自らの手で、「和」を取り戻してほしい。答えはみなさんの内にある、そしてそれを子どもたちに伝えていってほしいのです。
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