Monthly Archives: 8月 2004

第13回 「親の責任」

ALOHA! 皆様楽しい夏をすごされましたか?

日本からの海外渡航先で、この夏最も人気のあったのがハワイだそうです。一応アメリカ合州(衆)国の一部なのですが、日本語も良く通じるので日本国ハワイ県と勘違いされる日本の方も多いようです。確かにご家族で日本からハワイに来られる方々が毎年増加しています。しかも親御さんの年齢は毎年若くなっているようです。子供がある程度の年齢に達してからご家族揃ってハワイに来られるのではなく、親御さんが行きたい所には乳飲み子でも連れてゆくとの考えなのでしょうか?子供連れで気軽に出かけれる時代の風潮もあるようです。

幼稚園児の年頃は、もうオムツもミルクも持ち歩かなくって済むし、様々な見聞に率直に反応を示してくれるので海外に連れてゆくのには理想的な年頃の始まりだと思います。親御さんたちは躊躇しても、お子さん達は躊躇せずに「アロハ!」(こんにちは!)や「マハロ」(ありがとう)と現地語で大きな声で挨拶してくれます。ついこちらも言葉を返したくなりすよね。ハワイの明るい太陽光線とやさしい風に開放されたお子さん達の元気なエネルギィーから、こちらまで元気をいただかせてもらっております。こういう明るい元気印のお子さんの親御さんは、お子さんとのコミュニケーションも家庭での躾も上手にしていらっしゃるようです。

ただ中には困った親御さんも時々いらっしゃいます。以前にもお話しましたように、お子さんの教育には、人間生活の基本を教える家庭教育、他者との関係や社会ルールを学ぶ社会教育、学問知識と集団生活を学ぶ学校教育がありますが、これらの3教育の区別がつかない親御さんがいらっしゃいます。

例えば、公の場で子供が他の人たちの迷惑になるような行動(勝手に騒いだり、走り回ったり)をとったら注意するのは大人の責任です。私がそのような子供たちの行動を説得して制止すると、そばにいた親は気づかなかったことを侘び私にお礼を言います。ハワイはそれが通常で、これは社会教育としての大人の責任です。ところが、日本から訪れている親御さんの中には、注意する私をにらみつける方もいらっしゃいます。そして「やめなさい!あの人に怒られるから!」と言うような態度をとります。お子さんもその時だけは行動をやめても、こちらの目を盗むようにして、又同じ行為を始めます。親御さんは見て見ぬふり。こうなると、私はその親御さんの家庭教育における親の責任を疑ってしまいます。

こちらでは、未成年者に対する親の責任は日本以上に徹底しています。12歳以下の子供を、18歳以上の保護者・責任者なしに車やホテルの部屋に残しておくと親の責任を法律で問われます。この年齢は日常的な危険や非常時の危険に対する判断が出来ない年頃なので、判断出来る大人を側に置いておかない以上は親の責任を追及される訳です。

以前日本にいた時、近所の子供たちがマッチで遊んでいるのを通りかかった主人が見つけ、英語であったためか、言葉で言っても聞かない子供たちの危険を察した主人が、火のついたマッチを持った幼児の手を払ってマッチを落とさせ火を消しました。そうすると現場にいなかった親達が警察に「子供が暴力をふるわれた」と通報し、警察官が我が家に来たことがあります。私たちは警察官を家に招き、じっくりとこのケースを話し合いました。その結果彼らのアドバイスは、子供への注意には体への接触は避けた方が良いとのことでした。警察官でも、体に触れると問題になるとか。

でも、ケースバイケースがあるのではないでしょうか。私も主人も警察官の常識も説得性もないアドバイスに、呆れてしまいました。火のついたマッチで遊んでいる子供を説得している間に、マッチ棒が短くなり「熱い!」と子供たちが火のついたマッチを投げたらどうするのでしょうか?その火が、近くに散らかっている子供たちの食べたお菓子の包装紙に引火し、風がその包装紙を舞い上げたら、、、。火事さえ起こらなければ、親の責任は全く無いのでしょうか?子供の手の届くところにマッチを置く、その危険性を教えていないのは、親の責任です。でも、親に一日中子供から目を離すなと言っても困難です。だとしたら、危険を察知した大人の責任です。私たちは、この出来事で、日本の子供に対する社会教育意識の貧弱さに本当に落胆させられました。

私の余計な心配かもしれませんが、家庭教育における親の責任の怠慢を棚に上げて、何か起こると社会や学校に責任を追及する親御さんが日本で増えているようですが、、、、。「幼稚園ねっと」を通してお子さんの未来を真剣に考えていらっしゃる皆様方には私の心配は無用ですが、もしも周囲にそのような方がいらしたら何かの方法で気づかせて上げて下さいね。子供は未来社会を築くための、みんなの大事な投資(英語的表現ですが)なのですからね。

ノブコ タカハシ ムーア
************************************
ハナウマ・ベイ
私の住んでいるオアフ島の東部には、火山の火口が波に洗われて出来たハナウマ・ベイ(湾)があります。その湾は、長い歳月が培った珊瑚礁が生息し、古代ハワイ王族しか訪れることのない神聖な場所でした。時代が変わってエルビス・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」でハナウマ・ベイが紹介された頃から、観光地として一躍有名になりました。現在では珊瑚礁保護のために、色々と規制もありますが、スノーケルをつけて魚たちと泳げれるこの美しい湾には是非一度訪れて下さい。指定された魚の餌を買って水辺で魚たちと戯れるのも楽しいですよ。
************************************

多民族社会ハワイから異文化理解に役立つ情報を発信している スクール ハウス インターナショナルの運営者です。異民族間 結婚の家庭で育つお子さんの生活環境、多民族化がすすむ日本社会 で国際人教育を必要とされている日本の子どもたちの家庭環境を 一日も早く整えるために、自分の体験に基ついて語ります。 ご参考にしていただければ、大変嬉しいです。

<ノブコ タカハシ ムーア>
関東学院女子短期大学英文科卒業後、デンマークのInternational Peoples’ College で 23カ国の学生と共同生活をしながら、国際理解、国際平和を学ぶ。帰国後 民間ユネスコ活動に出会い以来30年間日本社会の国際化の最先端で様々な 国際交流プログラムを企画実施する。1993年3人の子どもたちの学校教育の為 ハワイに移民。同年それまでの体験をまとめた「集まれ!地球の子ども達」を出版。 School House International のホームページはこちら>>

第15回 「小さな親切」をはじめよう

皆様、暑い日が続いておりますが、お元気でいらっしゃいますか?

暑っ苦しい毎日、何となくイラツキがちなそんな中、先だって笑っちゃうような、でも何となくほのぼの?とした光景を目の当たりにしました。
それは、仕事に行く途中での車中のできごとでした。

地下鉄に乗っていた私がぼんやりとしていると『千駄木』駅に到着したらしく、ドアが開いたなと思いながら何気にそのドアに目を向けると“いかにも”という感じの、その割には細くて小柄な『突っ張り兄ちゃん』が大股開きで乗りこんでくるのが見えました。

そしてその兄ちゃんは、ちょうど私の斜め前の空席を見つけゆっくりとその席に歩みより、大股を開き、腕を組んでどっかりと座り込みました(小柄なせいか、あまり“こわそう”ではない)。

千駄木駅からは、その後も引き続きたくさんの乗客が乗りこんできたのですが、その乗客の中の小学3年生くらいと思われる男の子とお腹の膨らんだ母親の親子連れが空席を探してキョロキョロとしはじめたのです。

するとどうでしょう、即、その兄ちゃんが母親のバックをトントンとたたき、「俺、北千住で降りるからよ」と、これまた細い身体に似つかわぬ太いダミ声で言い、席を立ち上ったではありませんか・・・・。

一瞬驚きの表情を浮かべながらも「有難うございます」と言って座り込んだ親子、その後席を譲りドアの側に立っている兄ちゃんに向かって頭を下げる母親、兄ちゃんはちょっと気分良さそうにそのまま股を開き、腕を組んで立ち続け『北千住』までその姿勢を保っていました。
そして北千住駅に着くと、ゆっくりとした足取りで降りて行ったのです。

実はその母親は、私には“ただの太目のお母さん”にしか見えなかったのですが、突っ張り兄ちゃんには『妊娠中』と思っての親切心であったのだろうと思われます。

でも、いいではありませんか、人間関係が希薄になってきている昨今、どんな理由だって優しい心が嬉しい光景でした。

突っ張り兄ちゃんにとっても、とても気持ちの良い1日だったに違いありません。

夏休み、1日に一つ、小さな親切をご家族の皆さんでできることから初めてみませんか?
お盆休みなどでお出かけの時、久し振りにお目にかかるおじいちゃまやおばあちゃまに、旅の途中で巡り合った人々に、ご近所とのお付合いの際に、ご自身の気持の持ち方一つで相手様にも自分にも心豊かな生活が送れる事は必至です。

今日も暑い1日です。

でも、とてもほほえましい、気持の良い1日でした。

あの突っ張り兄ちゃんは、明日も親切な心をお人に与えてくれるのでしょうか・・・・・。

オフィス 鎌田  代表 鎌田妙子

—————————————————————————

元保育園園長、鎌田妙子が、今まで学んできた子育て理論や体験談などをもとに、子育ての悩みどころに対してアドバイスしていきます。毎回身近な事柄をテーマに、子育てアドバイスをお届けしていきますので是非ご覧ください。

<鎌田妙子> 1975年、北海道大学教育学部発達心理学研究室終了、認可施設 財団法人慈愛会保育園園長として9年間勤務。施設型保育の限界を超えるべく1986年独立。当時、日本では珍しいベビーシッター事業を立上げ、現在オフィス鎌田の代表として活躍中。