梅雨入りとなり、日ごとに気温が変わりやすい季節になりました。時々、天気の良い日は近所を散歩しながら、街や自然の小さな発見を楽しんでいます。
通り道にはちょうどいい休憩場所の公園があって、そこは10時を過ぎると、小さなお子さんを連れたお母さんたちがどこからともなく集まってきて、砂場でいっしょに遊んだり、お母さん同士で話しを始めたりと少しずつにぎわってきます。
昨今のお母さんたちはパートをしたり、正社員で働いたりと忙しそうです。お母さんたちの環境も人それぞれなのでしょう。とはいっても、今も昔も社会の基本単位は 家庭で、そこから社会は始まっていると思うのです。
子育ても、やがて社会に旅立つ資源の一人を育てているのですし、社会で働いているお父さんは家族に支えられている。家庭は社会の中でも大きな存在です。
私は子を産み育てることが、社会・国家を存続する上で、どのような事業よりも優先しなければならない事業と信じています。人がいなければ事業はおろか、社会も国家も成り立たないからです。だから子育てをしながら家庭教育を担っているお母さんには、その働きにふさわしい報酬を与えられるべきで、そのようなしくみがあれば、幸福な家庭が、そして社会がつくられるのではないかと考えます。
家庭の中において子供への教育は本当に大事です。それは知識を教える勉強というものだけでなく、心を育てる心の教育です。
あるお母さんが、以前私にこんなことを相談してきました。「仕事で忙しかったから、昔から息子が欲しいというものはいつも与えてきて不自由をさせなかった。なのにどうして非行にはしってしまうのか…」と。私はお母さんに伝えました。それは両親の愛情を金銭的なものでは与えてきたけれど、子供にがまんする心を教えることを 忘れていたのではないのでしょうか…、と。
がまんができなければ、人間は自分本位な生き方になり、相手を思いやったり、節度をもつことを忘れてしまいます。心の教育ができるのは、家庭であり、一家団欒の場なのではないでしょうか。
喜怒哀楽をぶつけ合って、それでも助け合っていくのが家族です。子供が悩みを抱えたら、それを親に打ち明けられる団欒の場=家庭があれば、子供はそこから強く生きていけます。
戦後の高度経済成長期、人間の共通した生き方、夢は、「一家団欒」でした。誰もが一家団欒を目指してがむしゃらに働いてきた時代が確かにありました。一家団欒こそが日本人の幸せの象徴だったのです。
若い人の中には、一家団欒という言葉すら知らない人もいます。子供が一家団欒を体験できないほど、お父さんもお母さんも忙しい時代なのでしょうか。
私の幸せは、一家団欒の日々を重ねて、天寿を全うし、愛する家族に見送られて、妻と始めた一会一緒の旅に出て立つ生涯と、さらにその旅を続けるのが私にとって、生死一如の幸せなのです。
一家団欒が夢です、と答えるのも恥ずかしいのかもしれませんが、一人ひとりの夢を実現するためにも、あたたかい家庭、喜怒哀楽を共にできる家庭の建設はいつの時代も大事で、社会的幸福の基となるものと確信しています。
第4回 おわり |