春の暖かい陽気に誘われて、久しぶりに電車に乗ったときのことです。私が座った席の前には、小学1〜2年生くらいの女の子とお母さんが座っていました。女の子はずっとゲームに夢中で、お母さんがしゃべりかける言葉に「うん」とか「そう」とか、聞いているのか聞いていないのか、あいまいに答えていました。
車内は空いていたので、その女の子の姿勢もだんだんだらしなくなってきて、ゲームに疲れたのか手を上に伸ばして大きくのびをしました。するとお母さんが、「女の子なんだから、女の子らしく行儀よくしなさい」と注意をしているのです。お子さんのことをきちんとしつけているお母さんなんだな、と思ったのですが、女の子らしくという言葉が少し耳に残りました。
私の子供の頃は、「男は男らしく、女は女らしく」と、性別によって育て方がきっちりと分かれていた時代でした。「男は度胸、女は愛嬌」という格言のとおり、男は強くて勇ましくあるべきであり、女の人は男を立てて謙虚にいることが美しいと思われていたのです。
私はどちらかというと、そんな言葉には捉われずに、自由に思うがままに「自分らしく」「人間らしく」生きてきたような気がします。妻と結婚してからも共働きだったため、手が空いている方が台所仕事をしましたし、お互いの仕事も尊重し合っていました。男は台所に入るべからずという時代の中で、私と妻の間では当たり前のことも、周囲の人にはあまり理解されていなかったかもしれませんね。
現在は男女共同参画社会という言葉に表されるように、男の人も女の人も差別なく、自分らしく生きることができる社会へと前進しています。しかしそれは男女の差別や偏見をなくすための第一歩であって、男も女も区切りがなくなったということではないと思うのです。
もともと男と女は、「性」が違うということは誰もが認め合わなければならないことです。大切なのは、お互いが性別の違う生命体なのだと認め尊重し、人間としてどう協力して社会を、幸福な生活を築いていくかということではないのかと思うのです。
だからこそ、男女が平等になった今だからこそ、身を挺して雄雄しく生きる姿に男らしさを感じ、微笑ましく和やかな初々しいはにかみに女らしさを感じる感性を大切にしたいと思うのです。
そして子供らしさの基本は、人間の保護本能を無条件で誘い出す、かわいい無邪気さではないでしょうか。電車に乗り合わせた女の子がお母さんに注意されて、お母さんに寄り添いながらごめんなさいと素直に謝る仕草は、天真爛漫な子供らしさ、愛らしさです。
女の子の愛らしい笑顔を見て、私は妻のはにかんだ笑顔を思い出しました。それは女性だからこそ醸し出せる美しいこころの有り様です。男の私にはとうてい出せる笑顔ではなさそうです。亡き妻のはにかんだ笑顔は、一人になった今となっては、寂しいときに明かりを灯してくれる太陽のようなものです。いつも鮮やかにこころによみがえります。
第2回 おわり |