2007年11月20日

第29回 「近頃の若いもんは・・・」

私は、神社の宮司を兼務しています。宮司、というと、氏子さん、お参りにこられる方をはじめ、いろいろな方とお話しする機会があるものです。

あるとき、近所でも評判の、口うるさいおじいさんと境内でお話をしていました。普段から、「近頃の若いもんは、なってない。思いやりの心もない」など、嘆き、というか、怒りというか、そういうことをおっしゃっているおじいさんです。

さて、話が、ひょんなことから、「悔しかったこと」というものに及びました。

私が、「おじいさん、今までで、一番悔しかったことは、何ですか?」とたずねると、

「そりゃ、おまえ、普段から仲良くしている隣のじいさんが、わしに内緒で、家を建て替え始めたときが、一番悔しかったわい」

とのこと。

私は内心、仲良しなら喜んであげたらいいのに、と思いながらも、また、何かいわれたらかなわないので、話の矛先を変えようと、「じゃ、今までで、一番うれしかったこと、って、何ですか?」と、たずねました。

すると、そのおじいさん、いわく、

「そりゃ、その家が、工事の途中で、火事で燃えたときが、一番うれしかったわ!」。

「近頃のわかいもんは・・・」なんていえないでしょう、といって、笑い話ですますこともできますが、実は、振り返ってみると、私たちの中にも、人の幸福をねたんだり、反対に、不幸を喜んだり、面白がったり、ということはないでしょうか?

子どもたちには、本当の、「他人を思いやる心」「幸せを共有できる気持ち」を持ってもらえるように子育てしたいものです。

投稿者 wow : 10:04

2007年10月11日

第28回 「慣用句」

数日前の京都新聞に、文化庁の調査として、こんな記事が載っていました。「目立つ誤 慣用句」と題して記されていた記事です。

慣用句の中で、
「上や下への大騒ぎ」と使うと答えた人は59%。
「そうは問屋が許さない」と使うと答えた人は24%だったそうです。

上記、二つ、正しくは
「上を下への大騒ぎ」
「そうは問屋が卸さない」
です。

では、みなさんに質問です。
「役不足」という言葉は、どんな意味でしょうか?

正解は、「本人の力量に対し、役目が軽すぎる」、です。

もう一問。「気が置けない」の意味は?
正解は、「相手に遠慮をしなくてもよい」、です。

いかがでしたか?失礼ながら勘違いをされていた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ことわざなども、よく会話の中に出てきますが、私もよく使う「三つ子の魂、百まで」。これは正しいと考えています。

しかし、「好きこそ ものの 上手なれ」ということわざがありますね。でも、「へたの 横好き」というものもあります。両者はまったく反対の意味を表しています。

以前に「問題な日本語」という本がよく読まれましたね。今の若者の間違った言葉の用例が多く紹介されていました。

日本語はとても難しい。そして時代に応じて変わっていくものですが、子どもたちには「正しい」日本語を伝えていきたいものです。

投稿者 wow : 09:35

2007年09月04日

第27回 「機会の平等・結果の不平等」

私はよく、「個性」の話をします。ある一定の型・基本ができた上に、出てくるものが個性だと。

たとえば、デッサンの基本もできていないのに、キャンバスに絵の具を塗りたくり、「僕の作品です」と、画商に売りに行ってもまず相手にされないことでしょう。もちろん、よほどの天才を除いてですが、そんな天才はほとんど現れません。やはり、基本が大切になってくるのです。

そして、その上で、もちろん個性は、人それぞれによって違ってきます。子どもたちでは、楽器を演奏するのが得意な子、絵を描くのが好きな子、積み木で上手に遊ぶ子、走るのが速い子、思いやりの心を人一倍持った子、上手に手伝いのできる子、などなど。

有名な話ですのでみなさん、ごぞんじかと思いますが、ある学校で、運動会の時、徒競走でスタートの時、竹の棒を持って走り出す、ということが行われていました。みんなが、平等にゴールするため、差別をなくすためだそうです。「ヨーイ・ドン!」で、一直線で走り出し、仲良く一緒にゴールする。

これはおかしなことだ、と思うのです。前述のように、個性にはいろいろなものがある。走るのが速い子もいる、遅い子もいる。それは、差別などではありません。第一、そのような徒競走を見ていて楽しいわけがありません。

社会は、やはり「機会の平等・結果の不平等」で成り立っているものなのです。子どもたちにももちろん機会を平等に与えなければならない。しかし、個性はさまざまです。出てくる結果もさまざまでしょう。よい個性は伸ばし、悪いものはおさえていく、それが教育であり、子育てなのです。

投稿者 wow : 09:33

2007年07月10日

第26回 「おのが姿をうつしてもみよ。」

私は、京都の大学を出てから、神社の神職の免許を取るために、東京の國學院大學の「専攻科」という、1年間、みっちり神職になるための勉強と修行をするところに通いました。

入学していきなり明治神宮に放り込まれ、早朝からふんどし一丁で、禊(みそぎ)と称する水浴びで身を清め、社殿の雑巾がけ、それからおかゆの朝食、講義、作法の練習など、大学時代には比較的のんびりと暮らしていた私にとって、まさにカルチャーショックのような「修行」でした。

そのときうけた講義の中で、次の一句が今でも心に残っています。

立ち向かう/人の姿は鏡なり/おのが姿をうつしてもみよ

立ち向かう人の心の中には、自分自身の心が映っているのだ。だから、素直でやさしい心で対すると、相手にもそれが伝わり、やさしい心と物腰で対してくださる。しかし、険悪で嫌味な心で接すると相手もまた、険悪な心と態度で相対するものだ、というような意味です。

私たちは、さまざまな人との出会いの中で生きています。自分の気の合うタイプの人の時は、すぐに打ち解けることができるものです。

しかし、「苦手なタイプだな」「いやな人だな」と感じる人は、おのずと接するのを避けたりするものでしょう。

でも、そのような人とも前述の、「おのが姿の鏡」だ、という考えで接してみる、このこともとても大切なことだと思うのです。

自分に合う人だけが回りにいるわけではありません。時には合わないと思われる人とお付き合いをする必要も出てくる、こんなことも子どもたちにうまく伝えていきたいですね。

投稿者 wow : 09:28

2007年06月07日

第25回 「空気に感謝する」

水道の栓をひねると水が出る。ガス・コンロのスイッチをひねると火がつく。当たり前のことように行っていること、日常生活の中にたくさんありますよね。

家族がいて、当たり前、友だちがいてあたりまえ。でも、考えてみると、当たり前のように思っていることに、本当に感謝しなければならないことが多いことに、実は気づくのです。

私たちは、生きるためには空気を吸わなければならない。でも、普段はそれを意識していません。
  
地震などの自然災害にあったときにはおそらく痛感することなのでしょうが、食べ物ももちろん、水もなければ生きていけない。

空気や水や食べ物などだけではなく、私たちの身の回りには、家族や友だちをはじめ、たくさんの人たちがいて、私たちの生活を支えてくださっています。「お金を払って」、という資本主義の世の中だからでしょうが、本当は、どんなことも「してもらって」生きているのです。

環境問題も最近取り上げられることが多くなりましたが、自然の力で生かされていることが本当はとても大切で、私たちが今、気づかなければならない最も大事なことなのかも知れません。

地球温暖化、CO2の排出規制、などなど、たくさんのことが問題視されています。日本に暮らす私たちには、まだまだ「対岸の火事」のようにしか、とらえられない面があるのかも知れませんが、地球規模では大変に深刻な問題が起こってきています。海水の水面がこれから上がってきたら、オゾン・ホールがこれ以上、広がったら。

目に見えない、そして普段意識も感謝もしない「空気」に対しても感謝の気持ちを持つ。今からとても大切なことになるのかも知れません。

投稿者 wow : 09:30

2007年05月08日

第24回 「いただきます、という挨拶」

生活の四大原則で、一番に「挨拶をする」をあげています。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、などの一般的な挨拶、それから、ありがとう、などのお礼の言葉も含まれます。

食事をするときの「いただきます」もこの挨拶に、もちろん含まれます。
幼稚園では給食などの食事を食べるとき、「いただきます」といってから食べます。ご家庭でもそうされていることと思います。

ところが、先日、こんな話を耳にして驚きました。

ある小学校で、「給食費を払っているのに、なぜ『いただきます』といわせなければならないのか」という保護者がいたそうです。費用を払っているのだから、食べて当然ということなのでしょうか?これは違うと思いませんか?

いただきますという言葉、これは、食べ物、つまりお米や野菜や肉などの食材、それらの命をいただいているということなのです。
その命をいただいて人間は生きていくことができるのです。

だから、食べ物に対する感謝の気持ちを込めて、「いただきます」と言ってから食べ、いただいたあとは「ごちそうさまでした」と挨拶をするのでしょう。
生きとし生けるものに対する感謝の心、命への尊厳の心、これを忘れてはいけません。森羅万象すべてのものの「おかげさま」で人間は生かされているのです。
食べ物に対しても、「いただきます」と感謝の心を込めてその命をいただく。

小さなことかも知れませんが、とても大切なことだと思うのです。

投稿者 wow : 09:40

2007年04月02日

第23回 「ともに子育てをする」

 「米川さん、保護者の方々のご協力が、幼稚園には、絶対必要なのです。ともに子育てをするのが幼稚園なのですよ」

 以前、長野県の白百合幼稚園に、橋上先生と一緒に見学にうかがった折、園長先生から聞かせていただいた言葉です。

 幼稚園によっては、できるだけ保護者に負担をかけないようにすることによって入園希望者を募っていらっしゃるところもある。

 言葉が適切ではない、とご指摘を受けるかも知れませんが、私はいつもこういうのです。「幼稚園は断じて『コインロッカー』ではない」

 子育て支援、はしていくべきです。しかし、私は、子育て「放棄」支援はしたくない。子育て支援の目的は、決して子育てを「楽」にすることでは、ない。子育ては、みなさま十分ご承知のとおり、「しんどいもの」です。決して楽ではない。それは一人の人間を育てる、という、とても重要で、大切で、大変な「一大事業」です。楽なわけがありません。

 私は、子育ては、「しんどいけど、楽しいな」、と思っていただく、そのようにかかわらせていただくことが、幼稚園のできる、最高の子育て支援だ、そう考えているのです。

 保護者の方と私どもが「ともに子育てをする」、それが幼稚園なのです。

投稿者 wow : 10:07

2007年01月22日

第22回 「『議論』が鼻につく今日この頃。」

 テレビなどを見ていると、いろいろな人の会話の中に、「議論」という言葉が多いことが、最近とても気になっています。以前から、なのかも知れませんが、特にここ数年、よく耳にするようになってきたように思えます。

 特に政治家の方々の発言に多い。

 「この問題は、もっと議論をする必要があると思います」

 「議論を深めていくことが大切だと思っています」などなど。

 もちろん、重要な問題について議論することはとても大切なこと、です。議論することなしに、独断専行したり、軽薄な決断をしたりして、政治を進められては困ることもあるでしょう。

 しかし、私は言いたいのです。「何でもかんでも『議論、議論』してもらわなくてもいい。それより拙速で構わないから、即、『行動・実行』してもらったほうがいいこともある」、と。

 私たちが、生きている社会は、何事も議論や相談をしてばかりで進んでいくわけではありません。もちろん、衆知を集めることは大切なことです。でも、「あれこれ考えていても仕方がない。とにかく、すぐやろう!」と、進めていくこともたくさんありますよね。そして、そのほうが結局よかった、ということが多い。

 議論、議論、と、問題と自分の責任を先送りにする、そんな考えが見え隠れしているように思えてならないのです。

 子どもたちにも、みんなで相談して決めることの大切さ、と同時に、自分の責任の下に、決断して、即、行動する勇気をも伝えていきたい、と常々思っています。

投稿者 wow : 09:53

2006年12月11日

第21回 「日本の、本当の「和」の心って? 」

 「和」の心とは、決して確立されたものではなく、どの時代のものとするか、で、まったく異なってきます。
 今、一般に言われている「和」の心は、おおむね室町時代のものになるでしょう。

 応仁の乱で焼け果てた京都の町が再生し、禅の思想が流れ込み、朝鮮半島や中国大陸からの唐物と交じり合い、「わびさび」というひとつの「文化」を作り出した。「妖艶・幽玄・粋・伊達・数寄」もあったけれども、それまでの「もののあはれ」はその中に昇華吸収されていきました。その後、「わびさび」は何百年を経て、さまざまに変容し、時代の波に洗われてきました。

 そして、決定的な二つの出来事が、幸か不幸か、それを確実に変質させてしまう。同時にわれわれ日本人をも変えてしまったのです。伝統はその時点で、不易流行の活力を失い、単なる「鑑賞の対象」となってしまったのです。

 そのひとつは、「明治維新」。西洋列強に対峙するため、維新政府は、日本の伝統を洗練する必要がありました。
 オカルト的なもの、西洋に恥じると感じられる物事、風習、習俗、文化にふたをして、抹殺してしまった。「和魂洋才」という標語のもとに。

 ついで大東亜戦争での敗戦です。GHQの占領政策でさまざまな日本文化が失われ、同時にわれわれ日本人自身が、自ら捨て去っていってしまいました。

 今、われわれは、「和の心」を取り戻そう、としています。ですが、間違っても、ニセモノの評論家や学者や骨董屋や、さまざまな「家元」と称する人たちに、それを求めてはならない。
 その人たちの説く「和」は、偽りの和でしかないからです。

 自らの手で、「和」を取り戻してほしい。答えはみなさんの内にある、そしてそれを子どもたちに伝えていってほしいのです。

投稿者 wow : 09:55

2006年10月17日

第20回 「今、本当の『進化』を遂げる時です。」

 川の上空にトンビが飛んでいます。川にパンを投げると見事なグライダー飛行でそのパンをつかんで飛び上がっていくのです。

 その様子を何度か見て、ふと考えてしまいました。
「なぜ、食べられるものだとわかるんだろう?」
と疑問に思ったのです。

 川には木の葉や木の枝も流れているのです。遠めに見ると、私には区別ができない。なのに、トンビはそれにはまったく目もくれず、ただ、パンだけは、確実に取りに降りてくるのです。

 人間は、哺乳類の一種から、サル、そして人間へと「進化」してきた、といわれます。その過程でさまざまな道具を作り出し、「文明」といわれるものを発展させてきました。しかし、それと引き換えに、動物として本来持っている能力を失ってきたのではないでしょうか?

 ライオンは、そのえさとなる動物が、絶滅することのない範囲で捕らえる、という話を聞いたことがあります。その他の動物も、「自然の生態系」という規則を、本能的に守り、保っているのだそうです。人間はその規則を、文明の発展とともに壊し続けてきました。

 それが、今の地球温暖化や過剰な森林伐採による環境破壊、動植物の種の絶滅の原因になっています。本来本能的に持っていた生態系を守る能力、感覚を、文明と引き換えに失っていった結果だといえると思うのです。それは実は「進化」ではなく「退化」であり、「発展」ではなく「破壊」ではないでしょうか。

 今、大自然の摂理ともいえる生態系の規則、失ってしまったその第六感を意識して取り戻し、自分たちの生きるこの地球環境を、再び自然なものに戻していくことが大切なことだと思えるのです。

投稿者 wow : 09:35

2006年06月21日

第19回 「Yes, No」をはっきり言わない誇らしい国、日本。

 諸外国、特に欧米から、「日本人はYes, Noをはっきり言わない」と批判を受けます。「これでは国際社会で通用しないぞ」、とまで言われます。

 さらに、多くの日本人の評論家もこれに同調して、「グローバル・スタンダードの時代に、Yes, Noをはっきり言わない日本は通用しないのです」などとの発言を繰り返している。

 これはみなさんもよくご存知で、そして「そうか、日本人、って、ダメなんやなぁ…」という印象をもたれている方も多いかも知れません。

 しかし、しかし、です。私は、はっきりと申し上げます。
 「Yes, Noをはっきり言わないのがなぜ悪い!」と。

 私たち日本人は、何千年の歴史の中ですばらしい文化をはぐくんできました。そしてその中で、物事を断る時に「またにしておくなはれ、考えておきます、今回は遠慮しておきます」という断りの言葉を生み出し、日常使用してきました。

 これは、相手に気遣い、やんわりと断る、「婉曲話法」という、優れた「断りの言葉の文化」なのです。

 「郷に入っては郷に従え」。もし、諸外国が日本で商売をするならば、まず、英語を押し付けず、日本語を、そして日本の文化・風土・国民性を勉強し、理解し、それから商談を始めるべきです。「考えておきます」は「No」だ、と知ってから商談に臨む、これが礼儀であり国際交流の基本だと思うのです。

なのになぜ、欧米の常識や考え方を押し付けられなければならないのでしょうか?

 冒頭の評論家に「あなたも日本人でしょう?そんなに日本がいやなら、国籍を変えたらどうですか?」とたずねたら、「うーん、考えておきます」。

 日本の文化に、みなさん誇りを持ちましょう!

投稿者 wow : 20:30

2006年06月02日

第18回 自由と規律

 私はある会で、世界的脳神経外科の権威の先生とご一緒させていただいています。

 先週の木曜日、偶然、会合で隣に座らせていただいたので、常々疑問に思っていたことについてご教示いただきました。

 まず、いつも皆様にお話ししている、「脳の発達曲線」のグラフについて尋ねました。

 私は、

「『0から6歳ごろまでに、脳の基礎的な配線は、その90%を終える。このため、幼児期はとても大切な時期だ』と考えています。いかがでしょうか?」

との問いに、先生のお答えは、「その通りですよ」。

 そこで、「ところが、先生、最近『3歳児神話』は崩れた、などと言う人がいますが、これはどうなのでしょう?」と尋ねました。

すると先生は、「4歳ごろまでが大切な時期なので、それはおかしいよ」と教えてくださいました。

 話は自由・個性・権利尊重教育の現状とその非現実性に及び、いろいろとご教授いただきました。

 たとえばご両親が、「幼児期は自由に育てることが大事」と子育てをなさっているとしましょう。そう主張される方に、私はこう尋ねています。

「それは結構なことですね…。では、子どもが赤信号を無視して、『自由』に渡ろうとしたら、どうされますか?」

 今まで、それでも自由に渡らせる、と答えられた方にであったことはありません。つまり、いつも申し上げている通り、「自由には規律」が、
「個性には基本」が、「権利には義務」が伴う、それを無意識にはご存知なのです。

 しつけや礼儀作法、社会的基本ルールは、自由を保護・保障するための最低限の規律です。

 それを「押し付け」と排除するのは、はなからおかしいことなのです。

投稿者 wow : 11:12

2006年05月15日

第17回 「忘れる」と「記憶していない」は違う!

 幼稚園で毎日繰り返し行っているルーティーン(日課活動)、いろんな動植物、絵画、俳句、論語などなど本当に多種多彩にわたっています。先月書いた、BOI(Bit Of Intelligence)を増やすのがこの活動の目的です。

 さて、お母様はじめ保護者の方から、「子どもって、結構いろんなことを覚えますけど、すぐに忘れてしまいます」という声を聞くことがあります。確かに、すぐ忘れてしまうかも知れません。でも、「忘れる」ということと、「記憶していない」ということは根本的に違うものなのです。

 あるものを見たとき、視覚を通して脳に入り、最終的には「海馬」といわれるところに、すべて記憶として残されていきます。

 例えばこんな経験を、誰もがおもちではないでしょうか?初めての場所に一泊で家族旅行に行った。いいですねぇ。温泉に入ってゆっくりくつろぐ。楽しい時間はあっという間にたってしまう。

帰りの電車で、ぼんやり窓の外を眺めていると、「あ、この看板、昨日、行きに見たな。この景色、覚えてる。この駅、この踏み切り、そうそう行きに通過したな」。

 いかがですか?行きの電車の車窓から、「この風景、看板を覚えておかなければ…」というわけではないにもかかわらず、記憶には残っている。

 これが本当の意味での「記憶」なのです。付け加えれば、イメージ・感性を主に司る「右脳」の働きなのです。

 6歳までの幼児期は、特にこの能力が優れて活発に働く時期です。子どもたちは「忘れる」かも知れませんが、「記憶」にはしっかりとそのイメージや情報は残っているものなのです。

投稿者 wow : 17:56

2006年04月24日

第16回 「生きる力」、園長の考え方

 「生きる力を育む教育」。文部科学省が打ち出し、その延長のひとつが「ゆとり教育」でした。

 まず「ゆとり」を、と、量的・質的に教える内容を減らした。
その結果、生きる力を育むどころか、基礎学力の驚異的な低下をまねき、さらに命を「殺傷」する子どもをも育ててしまうことになった、みなさんもよくご存知のとおりです。

 先日、ある小学校の先生が、
「お役人の『机上の空論』ですわ。現場のことを何もしらない」と
嘆いておられましたがまったく同感です。

 さて、かすがようちえんでは、「生きる力」とは、つまるところ「問題解決能力」だと考えています。

 わかりやすく説明しましょう。

 たとえば、バトミントンをしていて、誤って屋根に羽根が乗ってしまった(①問題の発生)。
 羽根をとる方法を考える(②検討)。
 考え付いたさまざまな方法を、最善の方法で試みる(③実行)。
 うまくいかなければ修正する(④修正・変更・調整)。
 羽根を取ることができた(⑤解決・適応)。

 これが、すべての「問題解決」の手順です。そして、この中でもっとも大切なものが、「②解決法の検討と④修正・変更・調整」だと考えます。


それを多種多彩に、数多く考え出す能力がもっとも大切だ、そう考えているのです。

 その要素の単位をBOI(Bit Of Intelligence)つまり「情報・知識の粒」と呼んでいます。毎日のルーティーンで、子どもたちが「ビーオーアイ!」といっているものもこのひとつです。

 これが多ければ多いほど、その組み合わせのパターンが累乗的に多くなり、問題解決にいたる「方法の選択肢が多くなる」=本当の意味で「賢い」=「生きる力が豊か」に育つ、そう私は考えています。

投稿者 wow : 17:24

2006年03月22日

第15回 気骨のあるおじさん

 私はテレビをほとんど見ません。ですが、先日、なんの番組だったか、偶然目にして、おもしろいな、と思った場面がありました。

 現在の子どもの問題を取り上げて議論するような内容だったと記憶していますが、あるタレントがこんな話をしていました。

「電車に乗っているとき、化粧直しをし始めた女子高校生がいた。隣に座っていたおじさんが、『人前で化粧なんかするもんじゃないぞ』」とたしなめたそうです。

 私は、「ほぉ、何とそういうことを言える気骨のある人がまだいたんだな」、と感心して聞いていました。すると、そのタレントが続けて「その直後、そのおじさんの携帯電話がなって、『はい、もしもし。あー、いつもお世話になっております…』って」。

 会場も爆笑、私も爆笑、というか苦笑してしまいました。

 善悪、というものの判断は、本当にむずかしいものです。時代の流れ、そのとき、場所、状況によっても、地方、個人によっても違ってきます。

 例えば、車からタバコの吸殻をポイ捨てする人もたくさんおられます。その人が、それを「悪」と思っていらっしゃらないのでしょう。でないと、あんなに堂々と捨てられません。私はよくないことだ、と考えています。

 かくいう私も、知らず知らずのうちに「悪」を行っていることと思います。しかし、自分では気づいていなことも多いと思うのです。

 みなさん自身も、また、子育てについても、善悪の基準を再確認していただくことが大切なことかもしれないな、と思う今日この頃です。

自戒の念も込めて…。

投稿者 wow : 10:57

2006年02月15日

第14回 害虫・益虫、害鳥・益鳥

 「私、ゴキブリ、大好き!」っていう人、いらっしゃるでしょうか?おそらくどなたもいらっしゃらないことと思います。

 私は、子どものころから大の「虫好き」ですが、あのゴキブリだけは苦手です。夜、電気をつけたとき、ごそごそっと近寄ってくる、ぬめっとした茶色いはね。それが飛んで、こちらへ向かってきたときにはもう、「うわっ」とおののいてしまいます。

 一説によると、地球上のあらゆる生物が死に絶えてもゴキブリだけは生き残る、といわれています。ゴキブリは誰もが認める「害虫」の王様でしょう。

 では鳩はどうでしょう?マンションなどにお住まいの方は、糞害で困ってらっしゃるかもしれません。でも、鳩は「平和の象徴」とよばれることもあります。公園で、お年寄りがえさをやってらっしゃる光景は時にほほえましくも見えます。

 園庭にときおり、すずめがやってきます。ちょんちょんと、かわいらしい姿をみせてくれますが、お百姓さんにとってはせっかく実った稲を荒らす「害鳥」なのでしょうか。

 広辞苑で「害鳥」を見てみましょう。

「農林・水産上有害な鳥類をいうが、どんな鳥でも一年を通じて害鳥であることはない。例えばスズメは秋に穀物を食って害をするが、春夏には、虫を捕らえ、非常に有益である」。

 なんて勝手な定義なんでしょう!いえいえ、広辞苑が、じゃありません、私たち人間が、です。

 ゴキブリも鳩もすずめもほかの動物昆虫たちも「害・益」で考えられるように生まれてきたわけではありません。人間が勝手に決め付けているだけです。

 わたしには、今、人間が、地球上で最もたちのわるい「害動物」だと思えるのですが。

投稿者 wow : 11:13

2006年01月16日

第13回 Drastic Paradigm Shift(大きな価値観の変換)

 私は神社の宮司も務めております。今年も近くの会社の方々が、社運隆昌のご祈祷にたくさんお越しになっています。

そこで、毎年、新年の挨拶を申し上げるのですが、今年は、次のようなことをお話ししています。

 これから、数年または十数年かけて、「経済的、お金の豊かさ」に幸せを求める世の中から、「精神的、心の豊かさ」に幸せを感じる世の中に変わっていくでしょう。

心の豊かさ、という言葉は近年よく言われてはいますが、しかし、昨年も、「勝ち組・負け組」とか、「ヒルズ族」、「セレブ」という言葉がはやったように、まだまだ、競争社会で経済的、物質的に豊かなことがよい、という風潮が主流です。

 でも、やはりこれからは、勝ち負けや、お金が豊かにある、ということではなく、どのような環境、状況にあっても、その人の心の持ち方ひとつで、「幸せ」を実感できるような世の中になっていく、いや、いかなければならないと思えるのです。

私の身近に、どんなことにも「ありがたい、ありがたい」といつもおっしゃる90歳のおじいさんがいらっしゃいます。とてもお元気で、カクシャクとしていらっしゃいます。その方に会うたび、私は謙虚な心、感謝の気持ちの大切さを実感し、常の自分を反省するのです。

今、世の中は、まさかと思うような企業が倒産したり、異常な出来事が起こったりしています。まさに、これからは、大きな価値観の変換(Drastic Paradigm Shift)が起きるに違いありません。

子育ての上でも、心の豊かさに幸せを感じることのできる子に育てる、これが大切なことになってくる、と私は考えています。

投稿者 wow : 17:20 | コメント (0)

2005年12月28日

第12回 サムシング・グレート

村上和雄さんという方をご存知でしょうか?

最先端の遺伝子研究で有名な方で、「生命(いのち)の暗号」、「笑う!遺伝子」などの著書があります。

特に最近、あの吉本興業と協力して、「笑いが病を癒す」ということを、遺伝子レベルで科学的に解明していこう、と研究をされています。「笑う!遺伝子」にはそのあたりのことがわかりやすく書かれていますので、興味のある方は、是非お読みください。

その村上先生がおっしゃるのですが、とにかく遺伝子を研究していけば行くほど、「誰かが意図的に書かなければこんなものはできない」と思わざるを得ない。それを書いた神様・仏様と呼んでもいい「サムシング・グレート(偉大なる何か)」の存在を認めざるを得ない、と断言されています。

 私も、神社の宮司をも務め、人智を超えた神様の存在を感じています。そして、何度かこのコラムでも書いてきたのですが、人間があたかも自然を征服し、操っているかのような思い上がりを常々感じざるを得ません。

科学や文明は、自然を征服したり破壊したりするためにあるのではなく、自然の偉大な力を知るためにあるのだ、私はそう考えているのです。

 被害にあわれた方々には恐縮なのですが、ひとたび地震や台風などの天災が起きると人間の力など本当にたかが知れています。これを「人智の賢しら」というのでしょう。

 大自然に対して謙虚で感謝の気持ちをもって幸せに暮らす。文明の進んだ先進国、大都市には見られないその姿を、かえって時折テレビなどで目にする未開な民族などと呼ばれる人々の生活の中に感じるのは、私だけでしょうか?

投稿者 wow : 18:40 | コメント (0)

2005年11月28日

第11回 インドのカレー

 先日の幼稚園で開いた「お母さんの勉強会」は、松居和さんの講演でした。

 仕事柄、今までたくさんの教育・子育てについての講演を聴いてきましたが、松居さんのお話は、海外での実際のご経験を通してのもので、とても説得力があります。私の嫌いな「欧米では…」「スウェーデンでは…」の論調で、よく教育評論家が、物知り顔で唱える教育論を、舌鋒鋭く論破されます。

「松居先生、困った母親がいるんです」
とある園長先生。

「自分がカレーを好きだからといって、子どもに毎日カレーしか食べさせないんですよ」。

 それは問題ですね、といって3秒後に松居さんははっと気づいたそうです。

「でも、園長先生、インド人は毎日カレーを食べてますよ」。

 インドの田舎で1年間生活をされた経験からの答えに、園長先生は
「あっ、ほんとですね。どうして私、こんなことにこだわっていたのかしら」。

 松居さんはおっしゃいます。

「世の母親の抱えている問題の80%は、この『インドのカレー』を思い出してくだされば解決するんですよ」「子育てに、正解はないんです。親の趣味でやればいいんです」

 また、こんなお話もありました。「砂場で遊んでいる3歳児より、幸せになれない。なぜなら、大人は競争に勝つこと、お金持ちになることを幸せと考える『ものさし』を持ってしまっているからです。幸せのものさしを変えるだけで、砂場の砂でも幸せを感じることができるのです」。

 幸せのものさしを、一度見直してみることが、心の豊かさを得るためには必要かも知れませんね。

投稿者 wow : 16:48 | コメント (0)

2005年10月19日

第10回 「失敗」か「成長の過程」か

「ガラスを砕くのも、鋼(はがね)を鍛えるのも、同じハンマーだ」

 私は、今言うと、幼稚園の職員にも「うそー!」といわれるのですが、園長に就任したころは、3分間、話をするだけで、前の日から原稿を書き、それを覚えて、また当日の朝早くおきて、散歩をしながら覚えた原稿を繰り返し暗唱したものです。

 今は、「園長の話、長いなぁ」とみなさん、心の中で思っていらっしゃるでしょうが…。とはいえ、今でもその場で急に「なにかしゃべれ」といわれるとあわててしまうほど、人前で話をするのは好きではありません。ほんと、です。

 ただ、園長になったとき、「大勢の前で堂々と話ができるようになりたい」という目標を立て、そして、話をする機会をできるだけ多く持ったり、頼まれたら断らないと決めたりしました。そして、自分が話をしているところをビデオにおさめ、あとで見て(これが苦痛でした)悪かったところを反省し、チェックしました。そうして練習を重ね、うまいへたは別にして、だんだんと話せるようになってきたのです。

 最初からいきなり自転車に乗れる人はいません。転びながら次第にうまく乗れるようになるものです。

冒頭の言葉はロシアの古いことわざだそうですが、私の好きな言葉の一つです。

 みなさん自身も子どもたちも、失敗することもたくさんあるでしょう。叱られたりすることもあるでしょうが、失敗を成長の過程ととるか、単なる失敗に終わらせるか。これはその人の考え方、とらえ方によります。

子どもたちが失敗したときは励ましてあげてください。そして是非、できたところまでを認めて、ほめてあげてください。

投稿者 wow : 13:14 | コメント (0)

2005年08月02日

第9回 子育てにマニュアルはあるのでしょうか?

 子育てに、果たして確かな「マニュアル」は、あるのでしょうか?
 さまざまな育児雑誌や子育てに関する本があります。その中で主張されているものは、それこそ千差万別、種々さまざまです。
 ある本には「叱って育てなさい」と書いてあるし、ある本には「できるだけほめなさい」と書いてある。これでは子育てに「正しい方法などない」と思われても当然です。

 あるときすばらしい実践をされている教育者の方の講演で、こんな言葉を聞きました。

「悪いことをした中学生の息子に『おまえなんか、このうちを出て行け!』と父親が言ったとします。そのとき、ある子は、親父はこれほど真剣におれのことを考えてくれているのかと『お父さん、ごめん』というかもしれません。また『そしたら出て行ってやる!』と本当に出て行ってしまう子もいるでしょう。このように、教育に『こうすれば正しい』というものは、ないのです」

 たしかに、その通りです。具体的な場面になると、その子の性格や環境、そのほかさまざまな状況によって叱り方でも違ってくるでしょう。

 川上元巨人軍監督が、「長島を叱るときは、みんなの前で、大声で叱った。しかし、王を叱るときは、二人きりのときに、説いて聞かせるようにした」と話されていました。長島さんと王さんの性格の違いで叱り方を変えていた、というわけです。

 では、子育ての基本原則のようなものがまったくないのか、というとそうは思いません。

 私は、園で行っている「生活の四大原則」は、しつけの大原則、そして、子どもの小さな達成を「ほめ、励まし、認める」言葉がけ、これだけは普遍のものだと考えているのです。

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2005年06月30日

第8回 砂場を「無菌状態」にする?

 最近、幼稚園に、次のようなDMがたびたび届き、営業にも来られます。それは、「砂場には大腸菌などの雑菌がいっぱいなのをご存知ですか?」などのうたい文句で、砂場を「抗菌」する薬品の販売や、消毒処理をする、というようなものです。

 DMならシュレッダー行きですし、営業にこられたら、私は「いりません。やりません」と答えています。

 なぜ?と思われるかも、ですが、砂場どころか、幼稚園は「雑菌だらけ」だからです。驚かないでくださいね。実は、ご家庭、お店、デパート、電車、バス、はたまた空気中、世の中にはもともと雑菌がいっぱい、なのです。

 最近、抗菌グッズ、がはやっていますが、こんなものは実はぜんぜん役に立たっていない。意味がほとんどない、と言ってもいいと思います。

 もし、仮に、「無菌」の状態で、生れたときからお子様を育てたとしたら、例えば、6歳になって、突然雑菌だらけの世の中に出たら、とたんにいろんな病気にかかってしまいかねません。

 子どもは、もちろん私たちもですが、幼い頃から大腸菌などの雑菌によっておなかをこわしたりしながら、だんだんと抵抗力を身につけていくものなのです。完全な無菌状態での生活、というのは身の回りを抗菌グッズでかためても不可能です。

 電車のつり革より、トイレの便座のほうが、菌が少なかった、という実験報告を聞いたこともあるくらいです。

 砂場に犬猫の糞がある、のは論外ですが、おなかを壊すこともあるかもしれないけれども、大腸菌などをわざわざ殺し、無菌状態にするほうがおかしい、そう私は考えているのです。

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2005年06月15日

第7回 過激なゲームは絶対禁物です!

 昨年は地震や台風などの自然災害の多い年でした。そして幼い少年少女の、考えられないような残虐な事件も数多く起きた一年でした。

 そういう事件の報道を見ていて、あるひとつの特徴があることに私は注目しています。それは、人を殺した後の、その加害者である少年少女の「態度」です。「父母を殺した後、妹としばらく談笑していた」「取調べのとき、淡々としている」といった報道を見聞きされていることと思います。

 もし、私が、まかり間違って人をあやめてしまったとしたら、それこそどこかに隠れて布団にでもくるまって、ブルブル震えていることでしょう。なのに、その子どもたちは、「淡々と」しているのです。なぜでしょうか?

 以前、「殺人ゲームの影響」という題で、殺人や格闘の過激なゲームの悪影響について書いたことがあります。すっぱいレモンを想像しただけでつばが出てくる。これはイメージによって、脳が間違った信号を送るわかりやすい例です。

 大変精密にできている人間の脳ですが、このような「欠陥」がある。繰り返しインプットされた情報について、脳はイメージしたものと実際に体験したこととの区別ができないのです。

 では、殺人ゲームを何度も何度も繰り返した子どもの脳はどうなるでしょうか?もうおわかりですよね。そう、その子の脳は、無意識のレベルで実際の殺人とゲームとの区別がつかない状態になっているのです。だから淡々としていられるし、また簡単に人を殺すことができるわけです。

 だからこそ、特に脳の基礎ができる幼児期には過激で特にリアルなゲームは絶対避けていただきたい。ご家族がされているのを見るのも同じです。

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2005年05月12日

第6回 専業主婦、バンザイ!

 「女性の社会進出」、最近よく耳にすることばですね。女性が仕事を続けながら安心して子育てできる社会を作ろうということです。進歩的文化人といわれる人々が唱えるこのことば、ちょっと待ってという感じです。

ことばだけを聞いていると「そりゃそうだ」と思うのですが、よく考えるとおかしい。

 一体、「社会」とはどういう社会のことをいうのでしょうか。この「社会進出」と聞くと、まず頭に浮かぶのが、会社などでバリバリ仕事をしている姿、働いている女性像です。だとすると、家庭で子育てに専念しているいわゆる「専業主婦」は「社会に進出」していないのでしょうか。時代遅れの女性なのでしょうか。

 私は決してそうは思いません。というのも、「子育て」は他のどんな仕事より、生きがいとやりがいを与えてくれるすばらしい仕事だ、と考えているからです。

専業主婦もそれだけで立派に「社会に進出」していると思うのです。

 そして、あたかも専業主婦が社会に進出していないかのように錯覚させ、「私も仕事をしなければ」と思わせるような風潮は改めないと、と思っています。

 誤解のないように付け加えると、私は決して子育てと仕事を両立させている女性をダメだと言っているのではありません。だって、たとえば農業を営む家庭、それこそ昔からお父さんとお母さん、一緒に畑仕事に出かける。時には子どもを
背中におぶって、収穫したホウレンソウを洗う。

こういう家庭に「女性の社会進出」などというと、「何をいまさら」でしょう?

 一方気をつけておかなければならないのが、この「女性の社会進出」を助けるために福祉を充実させる結果、いわゆる「子育て放棄」を助長すること。

ほとんどのお母さんにはあてはまらないとは思うのですが、やはりこの危険性は知っておかなければならないと思います。
というのも、こんなことばを聞いたことがあるからです。

「世の中が、子どもを生め生め、っていうから生んだの。後はちゃんと行政が面倒みてくれなきゃ」

 これは違うと思うのです。こういう極端なことをいう人をたくさん生み出す社会であってはならない。

いつの世も「子育て」は何よりもすばらしい、自分をも育ててくれる仕事―もちろん両親にとって―であってほしいものです。

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2005年04月04日

第5回 「真剣」に、しかし「深刻」にならない 。

 いつも私が、子育てのキーワードとしてお願いしている、「お子様のことに対して、常に『真剣』に考えていただきたいのですが、決して『深刻』にならないで下さい」ということ。

 子どもたちは、時に「幼稚園、行きたくないー」と言ったり、「○○ちゃんが、いじめはる」と言ったりすることがあります。その原因はさまざまで、私たちの知りえないところにある場合もあります。

 例えば、こんなケースがありました。

「幼稚園、行きたくない」と言い出した、とのご相談をお母さんから受けました。いろいろお話しして、考えていったところ、こういう状況がその原因となっていたのです。

 実は、下の弟さんが、まだ1歳くらいで、風邪で数日熱を出し、その間、お母さんが弟さんにかまいっきりになっていらっしゃった。そこでお姉ちゃんは、「お母さんを独占されている」と感じ、「もっと私もかまってほしい」との気持ちから、「行きたくない」と駄々をこねていた、というわけです。もちろん数日でそれは解決しました。

 こんなとき、お母さんは、「幼稚園で、何かあったんやろうか。誰かにいじめられてるんやろうか」と、原因を外に求めがちになり、そして時に「深刻」に考えこんでしまわれることがあります。

 「いじめはる」と言う場合も、担任に聞いてみると、いわゆる「お互いさま」のことが多い。誤ってひじがあたったのが原因で、けんかになるケースなどが多いものです。そして、何日かすれば解決することがほとんどです。

 どうぞ、「真剣」には考えても、決して「深刻」にはならないで下さい。

これは子育ての上で、とても大切なポイントです。

投稿者 wow : 20:39 | コメント (0)

2005年03月03日

第4回 物は考え様、ですね。

 今日、境内を掃除していると、頭に鳥のフンが落ちてきました。
一瞬ギョッとしましたが、「ウンがついたかな」とちょっと嬉しくも思いました。

 松下幸之助さんが、ある時、「成功の要因は?」と聞かれてこう答えられたそうです。

「成功の理由には三つある。ひとつ目は、父の商売がダメになり、私はどん底の貧乏を味わったからだ。二つ目には、私は小学校中退で働き、学歴がなかったからだ。三つ目に、私は体が弱かったからだ。これが、私がここまで会社を創業発展させることができた理由だ」

 上記の三つは、普通ならばどれも失敗の要因に挙げるものばかりです。
「私にも、もっと資産があったらなぁ」、「もっといい大学を出てれば出世できたのに」とか、「病気がちでなかったらもっと働けるのに」、よく聞く話です。

 ところがそれを松下さんは成功の要因だといわれる。
 理由を聞くと、
「どん底の貧乏だったから、お金のありがたみが痛いほどわかったし、一所懸命働く事ができた。もし貧乏でなかったら、中途半端にしか働かなかっただろう。また学歴がなかったから、どんな人のことばも先生のことばに聞こえた。もし、大学まで出ていたなら、人のことばに謙虚に耳を貸さなかっただろう。体が弱かったから、仕事を人に任せるほかなかった。もし、健康だったら何でも自分が、と思っていただろう。幸いなことに天は自分に貧乏、無学歴、病弱な体を与えてくれた」
 
 私たちはなかなかここまで達観できないかもしれません。しかし、やはり物は考え様。砂漠で水筒に水が半分。「もう半分しかない。ダメだ」か、「まだ半分ある、さあ歩こう」か、です。

投稿者 wow : 10:50 | コメント (0)

2005年01月20日

第3回 かすが幼稚園 「子どもたちの『目』」

ある保育園でのお話です。園児の父親の中に、三人、どうしようもない父親がいたそうです。
どんな風に「どうしようもなかった」のかは聞いていないのですが、とにかくどうしようもなかった。そしてその父親たちに、保育園も、ほかの保護者もとても手を焼いていたそうです。
 ところがその保育園の園長先生、年配のおばちゃん先生ですが、すごいパワーの、日本で三本の指にはいる(その人いわく)先生でした。

 園長先生は秘策を練りました。その秘策とはいわゆる「お泊り保育にその三人を参加させ、子どもたちの世話を一緒にさせる」というものでした。

「なんで俺たちが…」という顔と風貌で現れた当の三人。何十人という幼児の世話をあれこれ命じられ、いやいやながら動き始めました。

 ところが夜を迎える頃になると彼らの表情や態度に変化が出始めました。鋭かったまなざしに優しさが現れてきたのです。

 翌日、園児が帰るころには、三人の顔はすっかり柔和になり、「とてもいい経験をさせていただきました。ありがとうございました!」と口々に御礼をいって帰っていったそうです。そして、その後、すっかり「よい父親」になったそうです。

 「うっそー!」と思われるでしょうが、本当の話です。

 私も教諭の免許を取るために、幼稚園で実習をしたのですが、たくさんの幼児を前にしてまず感じたのは、「なんてキレイな目をしているんだろう」ということでした。それに比べて大人になった自分の、ある意味で汚れた目と感受性にショックを受けたことをはっきり覚えています。

 子どもに「教えてやっている」、だけでなく、純粋なその目から何かを感じてみてください。

投稿者 wow : 22:24 | コメント (0)

第2回 かすが幼稚園 お母さん、お父さんの魔法のことば 「まかせるよ。思った通りやってごらん」  

 何をやらせても「どうやるの?」「やってやって」。
「こうしてごらん」といっても「できなーい」。
「どうしてうちの子はこんなに自信がないんだろう。
もっと自分で何でもできる子になってほしいな。」よくそんな声を耳にします。
「こうしなさい、ああしなさいといろいろと教えてあげているのに・・・」

 実はこの「こうしなさい、ああしなさい」と指示ばかりしていることや、子どもがすることに注意ばかりしていること自体が、反対に子どもの自発性が育つのを阻害したり、また自信を失わせてしまっていることが多いのです。

 自信をつける方法はまず「判断力をつけること」です。
判断力をつけるためには「自分で判断する機会をたくさんつくること」が大切です。

 そこでお母さん、お父さんの魔法のことばの登場です。
 「まかせるよ。思った通りやってごらん」

 このことばを子どもに何か手伝ってもらうときや何かに挑戦しようとしているとき、また「やって」「できない」と子どもがいってきたときに繰り返し使ってあげてください。

  ただし、結果については認め、ほめてあげることを決して忘れないでください。もし、結果が思わしくなくてもチャレンジしたことをまずほめ、それから注意する点をいってあげる。これを繰り返してください。

 園でこのことばを使い始めたとき、そのすばらしい効果には驚かされました。

 ご家庭でもこの「魔法のことば」を早速使ってあげてください。

投稿者 wow : 18:47 | コメント (0)

第1回 かすが幼稚園 「抱きしめる、という会話」

 私どもがいつも感じ、思うこと。それは保護者の方の力、特にお母さんの力の偉大さ、です。

 「子どもたちを見ているとご家庭の様子がわかります」と、私はよく皆様にお話しをします。そして「親の背中を見て子どもは育つ」と言い習わされてきましたが、ある面でそれは正しいなあ、と思わされます。

 お母さんの気持ちや愛情が「豊か」だと、お子様の気持ちも豊かです。しかし、どことなく余裕のない気持ちをお持ちだと、それも伝わってしまう、そんなことをよく感じます。

 数日前、「24歳母 乳児下腹部切る」「塾行かぬと小2長男絞殺」など、殺伐とした見出しが新聞紙面に躍っていました。なんとも胸が痛みます。前者の事件は「母親の幼児期の虐待体験から来る男性不信で発作的にやった」と記してありました。

 ここで思うのは、まず、やはり幼児期の「幼児体験」「原体験」といわれるものの影響の大きさです。「6歳までの体験は後の人生に大きな影響を与える。だからこそ、今を大切にして、褒め、励まし、認める子育てをしてください」、これもよくお話しすることです。

 次に思うことは、いくら自分が幼児期に虐待を受けていたとしても、それを抑えることがなぜできなかったのか、ということです。虐待まがいのひどいことを受けてきたすべての母親が、このような事件を起こすとは思えません。深い心の傷はあるけれど、だからこそ、自分の子どもに対しては深い愛情で接する、という子育てをされている方も多くいらっしゃるはずです。

 「抱きしめる、という会話」
今、新聞やテレビで公共広告機構がコマーシャルを流しています。

 簡単だけど、とても大切なことだと感じます。

投稿者 wow : 18:00 | コメント (2571)