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2007年09月04日
第27回 「機会の平等・結果の不平等」
私はよく、「個性」の話をします。ある一定の型・基本ができた上に、出てくるものが個性だと。
たとえば、デッサンの基本もできていないのに、キャンバスに絵の具を塗りたくり、「僕の作品です」と、画商に売りに行ってもまず相手にされないことでしょう。もちろん、よほどの天才を除いてですが、そんな天才はほとんど現れません。やはり、基本が大切になってくるのです。
そして、その上で、もちろん個性は、人それぞれによって違ってきます。子どもたちでは、楽器を演奏するのが得意な子、絵を描くのが好きな子、積み木で上手に遊ぶ子、走るのが速い子、思いやりの心を人一倍持った子、上手に手伝いのできる子、などなど。
有名な話ですのでみなさん、ごぞんじかと思いますが、ある学校で、運動会の時、徒競走でスタートの時、竹の棒を持って走り出す、ということが行われていました。みんなが、平等にゴールするため、差別をなくすためだそうです。「ヨーイ・ドン!」で、一直線で走り出し、仲良く一緒にゴールする。
これはおかしなことだ、と思うのです。前述のように、個性にはいろいろなものがある。走るのが速い子もいる、遅い子もいる。それは、差別などではありません。第一、そのような徒競走を見ていて楽しいわけがありません。
社会は、やはり「機会の平等・結果の不平等」で成り立っているものなのです。子どもたちにももちろん機会を平等に与えなければならない。しかし、個性はさまざまです。出てくる結果もさまざまでしょう。よい個性は伸ばし、悪いものはおさえていく、それが教育であり、子育てなのです。
投稿者 wow : 09:33

